「みんなの学校」という映画を見た話
先日、友達の結婚式が東京であったから、ついでに東京で見たいものを見てきた。
その中で、「みんなの学校」という映画を見た感想 を少し。を長々と。。
映画の概要は以下のような感じ。
(公式Webサイトから引用)
大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みん な同じ教室で学びます。ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けること ができる学校を作りあげてきました。
すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と噂 される子が入学しました。「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。いまでは、他の学 校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。
てか、Webサイト見た方が良いかも→http://minna-movie.com/index.php
そもそも、この映画を見ようと思ったのは気まぐれ。
最近映画を見ていないから映画見たい → UPLINKって映画館で上映している映画にはいちいち興味惹かれる → 上映作品検索 → 「みんなの学校」発見 → 彼女さんの勤める学校には今年から特別支援学級ができるって話しだったから見てみるかって流れ。
この映画を見て考えさせられたことが以下の2つ。
- 「人を受け入れる」ということ。
- 「間違い」を受け入れるということ。
まず、「人を受け入れる」ということに関して。
印象に残った2つのシーン。
まず、前の学校で問題児と判断された子供が転校してくる時のシーン。
生徒達に対して詳しく紹介をしなかった。自分でその人を捉えて欲しいという思いから。
また、その生徒と接する際、生徒に対して自分に何ができるかを考えて欲しいと問う。
次に、新任の先生に対する勉強会のシーン。
一人で全てやろうとしなくて良いと。まず、自分に何が出来るか?を考え、出来ないことはさらけ出してくれと。
出来ないことをさらけ出すことで、周りが変わる。フォローが必要な人を知ることで自分が何が出来るかを考えることに繋がると。
受け入れるという行為は、今ある関係性に新しく参加する人を足すというイメージであった。
しかし、受け入れる側・受け入れられる側の両者が自分を知り変化させて新しい関係性を築くことなんだなと思うようになった。
あと、自分に何が出来るかを考えることは、自分の中で盲点だったなと。
受け入れる際、相手のことを考えることに重きを置いてきたように思う。でも、相手を知り、“それに対する自分”まで考えなければならない。
自分のことを考えるのは、その関係の中で自分自身に対して責任を持つということだと思う。
自分は何もしないのに人を批判というか否定する人っているけど、こういう人達って自分自身に対する責任を持たないようにしていると考えると、けっこう合点がいく。
自分が責任を持ちたくないから考えない。それを隠すために他人を攻め、あたかも他者に責任があるように演じる。
まあ、偉そうに書いたけど、自分自身もそういう時あるから気をつけなければ…。
「間違い」を受け入れるということに対して。
この学校にはルールを破ったり間違ったことをすると「やり直し」が待っている。
校長先生と間違ったことに向き合い、良い方向に向かう解決策を考え実行することになる。
校長先生は説教したりしない。生徒が自分自身と向き合うように問い続ける。
間違いを起こした自分と向き合うのは、大人でもやりたくないことだと思う。
校長先生は、決して間違ったことに怒ったりはしなかった。
間違いを引き起こした原因(考え方)に対して怒る。
日本では、間違うことが悪いと思われることが多いと思う。
それゆえ間違えないことが良いことだし、やり直しという雰囲気は負けた感が漂う…と私は思うんだけど。。
デザインの仕事とかしていると、修正無し!1発OK!って凄く良い仕事したって感じになるけど、それってどうなんだろうとか思う。たくさんやり直して、より良い解決策を探す方が良い仕事なのではないか?と成長していく生徒の姿を見て思うようになった。
まあ、修正するのは体力も時間も使うから極力やりたく無いけどね。。
そんな感じで、この映画を見て当たり前のことが揺らいだり、思いもよらない点に気付かされた。
最近デザイン業界では、“インクルーシブデザイン”って考え方があるらしい。
ちなみに、教育では“インクルーシブ教育”ってのを推進しているらしい。
(文部科学省Webサイト→http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm)
両方とも社会参加が十分にできなかった人にも参加してもらって、問題に対してより良い解決策を探そうということらしい(どちらも言葉を聞いた程度なので詳しくはわからないけど)。
ITの発達で多くの情報や人と出会うことができるようになった。それにより物事は細分化され考え方は多様になった。
そんな中、多様性を受け入れ対応するやり方の模索が始まったのだと思う。
この映画には、その第一歩が描かれていると感じる。
最後に、この映画を見て、校長先生の強さに驚き「自分には無理」とか「どうせ映画に取り上げられるくらい、稀なケースなんだし」とか思うかもしれない。
でも、そんな不安とか言い訳とかを吹っ飛ばすシーンが、ちゃんとあるのでご安心を。
そのシーンは、万が一、このブログを読んで映画に興味を持ってくれた人に対してネタバレにならないように書かないことにします。
ということで、インクルーシブデザインの本を買って帰ってきたので、しっかり読んで勉強することにする。