生産的に
5/18のデザイニング展のトークイベントが面白かった。
というより、そのトークの中で“新しくなった警固公園を会場にしたのか?”って話への主催者である井出さんのツイートが面白かった。
以下、一連のツイート。
“藤村さん @ryuji_fujimura からの『「外部空間に個人が居場所を獲得する」っていうパフォーマンスはわかりやすいけれど、反権力的なポーズにも見えかねない。』という問いかけを受けて、警固公園に会場をつくるときに考えていたことを、少しだけまとめておこうと思います。”
“まず、今回は、昨年末にリニューアルされた「警固公園」を中心としてデザイニング展の構成を組み立てていくことは、とても重要なことでした。警固公園がリニューアルされた後にボクの耳に届いてきた廻りでの議論は、どちらかというと否定的な見方が多かったんですよね。”
“坂口さんの「外人が絵に描いたような黄緑(芝生)の公園」という 見解にもあったように、「スッキリし過ぎたんじゃないか?」や、「居場所がなくなった」、「以前の庭園的な公園の方が良かった」など、「まちの中に負の遺産ができてしまった」というようなニュアンスの見方がほとんどだったんです。”
“そのリニューアルに関わった人たちは、長い時間をかけて議論を重ね、住民や行政、警察の意向をしっかりと踏まえて取捨選択をして、最終的なカタチを導きだしている。”
“ただ、そのプロセスがオープンになっていないから(トークイベントの質疑応答でもあったように)、「なんでこうなっているの?」という疑問が生まれてしまう。誰に質問したらいいのか、その主体がわからないことが多いですからね、公共的なプロジェクトって。結果ではなく、制度の問題。”
“でも、初めてでき上がった公園を自分の目で見たときに、「まちの中に広場ができた!」と思ったんです。「公園」として見ると確かにスッキリとした印象だけど、「広場」だと思って眺めてみると、これはなかなかいいな、 と。昔と違って平坦な場所が圧倒的に増えましたからね、笑。”
“日本では、いわゆる「公共の施設」ができすぎてしまった印象があるので、「大建築・大プロジェクト=負の遺産」と見なされてしまうことが多いように思います。福岡でも、アイランドシティ(人工島)のことを「あんなもの をつくってけしからん!」という意見が、今でもたくさんある。”
“とても美しい場所を埋め立ててしまいましたからね。でも、見方を変えると、「中心市街地から車で20分程の場所に、360度海に囲まれた居場所ができた」とも言える。実際に、アイランドシティから市内を振り返って眺め ると、能古島などからの風景ともまた違って、とても魅力的な風景なんですよね。”
“現状を否定することは簡単。でも、いつまでもそれを「負の遺産である」と解釈し続けていても何も生まれないし、モッタイナイ。現状を物理的に大きく変えることは大変だし、現実問題として不可能に近い。でも、見方を変えることは、比較的簡単にできてしまう。そちらの方が圧倒的に早いし、生産的。”
“デザイニングでの活動は、問いかけや投げかけの連続でもあり、既存の情報の読み替えの履歴でもありますからね。”
“だから今回も、「ひとりの市民として、つくり手として、自分に何ができるんだろう?」と考えると、誰もが「もしかしたら、これは自分達の財産なのではなかろうか?」と思えるような楽しい状況を、状況として提示することなんじゃないか、と考えたんです。言語よりも先に。”
“と、昨日のトークイベント後の打上げで、藤村さんや坂口さん、水谷さんから「言語がない!」と批評されて(笑)、改めて事後的に考えると、そういうことなんじゃないかと思うのですが。”
昨日、高校の同級生で市役所に勤めている友達と飲んで、市役所を否定したわけです。
否定とか不満とか「こいうことってやらないんでしょ?」とか。
そんで、その友達がイライラしながら「市役所の何がわかるとや〜」と言われたわけです。
この言葉に反省。
そして、これって井手さんの話に通じるなと。
市役所の友達の話聞いていると、市役所って色んな事をやっているし、たくさん考えている。
自分は一部しか知らなかったし、“どうせ役所なんて”って思い込みで知ろうとしてなかったし。。。
理解してなくて否定するのは簡単。でもそれだけでは何も始まらないなと。
これからずっと天草で暮らすので、市役所も含め否定の“前に”を心がけようと。
たぶん、その“前に”をどう考えるか?どう行動するか?でもっと面白く暮らしていけるようになるんだろうなーと思いながら、今の自分を修正していこうと思う今日この頃。
最後に、もし自分が逆の立場(批判される立場)だったら、説明すること伝えることが重要になるので
ちゃんと説明できるように言語を磨く必要もあるな〜って。。。
明日からがんばろ!